明治から昭和初期にかけての地域振興を支えた「稲橋銀行」

今から100年以上前の明治時代、豊田市稲武町(当時は北設楽郡稲橋村)で、地域の有志による一つの銀行が産声を上げました。その名は稲橋銀行。今回は同銀行について、その開業からの歩みを紹介していきます。
日本に最初の銀行が誕生した頃
日本における銀行の歴史は、明治維新による廃藩置県が行われた明治4(1871)年の翌年、明治5(1872)年11月に「国立銀行条例」が公布されたことに始まります。その後、全国各地で銀行の設立が相次ぎ、100以上の国立銀行が誕生。そして国立銀行の多くが普通銀行に転換した後、明治26(1893)年7月には、その普通銀行を規制するための「銀行条例」が施行されました。
そして明治27(1894)年7月、日清戦争が勃発。翌年4月の終戦を経て国内の株価が高騰し、投資熱が一気に高まりました。さらに金融保険や鉄道、紡績などのさまざまな分野で起業ブームが巻き起こったこともあり、この時期にも多くの銀行が設立されました。
農工銀行法の制定を経て稲橋銀行を開業

(古橋家文書:き1396-23)

そのようにして全国各地に銀行制度が普及していく中、愛知県北設楽郡稲橋村(現在の愛知県豊田市稲武町)でも、銀行の創立を急ごうという機運が高まりつつありました。その中心にいたのは、稲橋村の村長を務めていた古橋家7代源六郎義真(よしざね)。郷土に適正な金融システムを導入することで、高利貸しの横行を防ぐとともに、貯蓄を奨励して地域のさらなる振興につなげていくのが目的でした。そうして明治29(1896)年に農工業資金の貸付に限定した農工銀行法が制定されたことを受け、創立に向けた取り組みを加速。明治34(1901)年1月より、村内で稲橋銀行を開業しました。
なお、稲橋銀行が開業した前後の時期は、近隣のエリアでも多くの銀行が誕生しています。北設楽郡だけに限っても、明治30(1897)年には御殿村(現在の東栄町)で御殿銀行が、明治33(1900)年には田口村(現在の設楽町)で東豊銀行が、明治34年には下津具村(現在の設楽町)で北設楽銀行が、それぞれに開設しました。そうして同年には、愛知県下にある銀行の総数は82行に。県全体で見ても、この時期は銀行数の最盛期にあたっていました。
足助町と田口町に支店を開設
続いては稲橋銀行の概要を見ていきましょう。まず資本金は10万円・2000株。普通銀行と貯蓄銀行という2つの機能を有する兼営銀行としたうえで、資本金の内訳は7万円を普通部、残りの3万円を貯蓄部としました。なお、この貯蓄銀行とは、かつて存在した金融機関の一つ。簡単にいうと、小口の貯蓄に対応していくための銀行です。そして初代の頭取は、村長でもあった義真が兼任。義真は2000株のうちの222株を持つ大株主でもあり、さらに古橋家一族全体で見ると、その出資額は実に50%を超えていました。
また、開業後は店舗の拡大にも乗り出し、明治36(1903)年2月には東加茂郡足助町で足助支店を開設しました。一方で明治42(1909)年11月に義真が逝去したことを受け、古橋家の家督を継いだ古橋家8代源六郎道紀(ちのり)が明治43(1910)年より2代目の頭取に就任。その後は道紀が中心となって拡張路線を継承していきます。そうして大正元(1912)年11月、足助支店の新社屋を建設。次いで大正8(1919)年には、北設楽郡田口町に田口支店を開設しました。
普通銀行と貯蓄銀行の兼営を経て普通銀行へ
しかし、この稲橋銀行の運営は決して順風満帆には進みませんでした。当時の稲橋村とその周辺地域は、典型的な山間部地帯にあたり、主要な産業は農業や林業といった第一次産業が中心。明治維新以降の近代化の波はまだ届いておらず、銀行機能を十全に発揮しにくいことがその大きな要因でした。
そんな中で大正10(1921)年3月には、普通銀行と貯蓄銀行の兼営を禁止する貯蓄銀行法が成立。さらに最低資本金が従来の3万円以上から50万円以上に引き上げられるなど、貯蓄銀行に対する経営規制が大幅に強化されます。それを受けて稲橋銀行は、貯蓄部を廃止したうえで普通銀行として再出発するか、あるいは貯蓄銀行への転換を図っていくかという二者択一を迫られることになりました。
そして同年8月、臨時株主総会を開催。山間部地帯では貯蓄銀行の運営が困難であるという結論に達したため、貯蓄銀行への転換を断念し、貯蓄部の廃止を決議するに至りました。そのうえで資本金を10万円から30万円に増資。さらに北設楽銀行と交渉を進め、大正11(1922)年4月には同銀行の武節支店と小田子派出所を、次いで11月には津具支店と根羽出張所を譲り受け、普通銀行としての事業拡大を続けていきました。
銀行の淘汰が加速する中で岡崎銀行と合併

一方でこの大正から昭和にかけての時代は、政府の主導によって全国各地で銀行の合併や買収が一気に進んだ時期でもありました。そんな中で頭取の道紀は、業務の発展に努める傍ら、地域の未来にもっとも有益な銀行のあり方を熟考。やがて他行との合併を決断するに至り、その合併相手に岡崎銀行を選択しました。そうして大正15(1926)年12月、同銀行とのあいだで合併仮契約書を締結。翌年の昭和2(1927)年6月に合併が実現し、稲橋銀行の本店は岡崎銀行の稲橋支店となりました。
また、この昭和2年には金融恐慌が発生し、現在の銀行法につながる旧銀行法が制定されました。そうして普通銀行の最低資本金が100万円以上に引き上げられたため、中小銀行を中心に合併や買収がさらに加速。この時代は稲橋銀行だけに限らず、多くの銀行が姿を消していきます。その結果、愛知県下の銀行数は明治34(1901)年に82行まで増えたものの、その後は整理と淘汰が進み、昭和5年末にはわずか27行にまで減少しました。

東海銀行との合併を経て豊田信用金庫の稲武支店に
その後の日本は、昭和6(1931)年の満州事変を経て、昭和12(1937)年に日中戦争を開戦。昭和15(1940)年にドイツ、イタリアと三国同盟を結んだ後、昭和16(1941)年12月より第二次世界大戦に突入し、昭和20(1945)年8月に終戦するまで長い戦争の時代が続きました。
そして終戦から間もない同年9月、東海銀行が岡崎銀行を吸収合併。岡崎銀行の稲橋支店となっていた稲橋銀行本店は、新たに東海銀行の稲橋支店となりました。
その後の変遷は少々駆け足で振り返ります。最初の東京オリンピックが開催された昭和39(1964)年の11月には、東海銀行の合理化により、東海銀行の稲橋支店は加茂信用金庫の稲武支店に。次いで昭和41(1966)年9月、加茂信用金庫が豊田信用金庫と名称変更を行ったことに伴い、豊田信用金庫の稲武支店となりました。
そして東海銀行は、後の平成14(2002)年に三和銀行と合併してUFJ銀行となり、次いで平成18(2006)年に東京三菱銀行と合併して三菱東京UFJ銀行(現在の三菱UFJ銀行)に。そのあたりの経緯については、多くの方がご存知のことでしょう。
稲橋銀行足助支店の建物を足助中馬館として公開
一方で明治36(1903)年に開設された稲橋銀⾏の⾜助⽀店は、昭和2(1927)年より岡崎銀⾏の⾜助⽀店に、次いで戦後の昭和20(1945)年より東海銀⾏の⾜助⽀店になった後、昭和40(1965)年の廃⽌を経て、⾜助町農業協同組合が残された建物を取得しました。そして昭和52(1977)年まで同組合の⾦融部として営業した後、昭和56(1981)年に⾜助町が所有権を取得。翌年の昭和57(1982)年6⽉より、同町の⾦融や交通などに関係した資料を展⽰する⾜助中⾺館として開館しました。
現在も残るこの建物は、まだ稲橋銀⾏の⾜助⽀店であった⼤正元(1912)年に建てられたもの。さらに1階の奥には、戦後の昭和29(1954)年に増築された⾦庫室も現存しています。そうした点が評価され、昭和59(1984)年には、明治から⼤正にかけての地⽅銀⾏の姿が残る建物として愛知県の有形⽂化財に指定されました。


こうして明治34(1901)年の誕生から昭和2(1927)年の合併まで、およそ26年間にわたって存続した稲橋銀行。結果的には短命に終わりましたが、国内の銀行勃興期にいち早く開業し、地域の振興に大きな役割を果たした点は評価されて然るべきでしょう。
なお、現在も足助中馬館は広く一般に公開されています。もしよろしければ、ぜひ足を運んでいただき、在りし日の稲橋銀行に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
まとめ:稲橋銀行の沿革
| 明治33(1900)年7月1日 | 定款作成 |
| 明治33(1900)年11月2日 | 創立総会開催 |
| 明治34(1901)年1月11日 | 認可及設立 |
| 明治34(1901)年1月29日 | 登記 |
| 明治34(1901)年1月31日 | 開業 |
| 明治36(1903)年3月30日 | 足助支店設立 |
| 明治36(1903)年8月8日 | 東加茂郡金庫事務所取扱を嘱託 |
| 明治42(1909)年9月10日 | 名古屋本金庫田口支金庫事務取扱を嘱託 日本銀行名古屋支店田口派出所事務取扱を嘱託 愛知県田口支金庫事務取扱を嘱託 |
| 明治43(1910)年4月1日 | 北設楽郡金庫事務取扱を嘱託 |
| 大正 8(1919)年9月17日 | 田口支店を設置 |
| 大正10(1921)年9月17日 | 貯蓄部を廃止 |
| 昭和 2(1927)年6月1日 | 岡崎銀行と合併実行 |
文:藤原均(フリーライター)
【参考文献】
宮川康「後進地山間部における地方銀行 ー愛知県北設楽郡稲橋銀行の成立過程ー」 『駿台史学』30号 1972年
稲武町教育委員会「稲武町史」 1999年 稲武町
新修豊田市史編さん専門委員会「新修豊田市史」 2021年 愛知県豊田市
早川大介「戦前期の地域金融機関統計ー愛知県を事例にー」『愛知大学経済論集』196号 2014年
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