稲武小学校6年生の皆さんに古橋懐古館を案内しました

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稲武小学校では古橋源六郎暉皃(てるのり)を勉強しているようです

愛知県豊田市立稲武小学校では、郷土の先人である古橋家6代当主の古橋源六郎暉皃(てるのり)を授業で勉強しているようです。こちらの豊田市が作成した動画で予習もして、古橋懐古館を見学したいとのことでした。

『古橋源六郎暉皃物語』豊田市公式YouTubeチャンネル

担任の内田先生に引率されて、稲武小学校6年生の皆さん18名が古橋懐古館にやってきました。
校長の山田先生もいらっしゃって、賑やかな見学になりました。

古橋懐古館は現在無期限休館中ではあるものの、地域の学校教育に貢献するのはとても大切なことですし、稲武小学校の前身である明月清風校は古橋家が設立していますので、特別に案内させていただきました。

古橋家6代当主 古橋源六郎暉皃

備荒貯蓄(びこうちょちく)と古橋家について案内しました

古橋懐古館では、古橋会常務理事の古橋真人(ふるはしまさひと)と、学芸員の張艶(ちょうえん)が案内係を務めました。
休館中につき展示物は少ないながら、備荒貯蓄コーナーと古橋家コーナーをご案内しました。

江戸時代から明治時代初期にかけては、まだ近代的な農機具や肥料、電気すら無い時代です。冷害が続くことで、簡単に飢饉になってしまう時代でした。

恵まれた現代に生きている私たちや子どもたちには、飢饉の実感が湧きづらいですが、飢饉に備えた「あらめ(乾燥させた海藻類)」や「備蓄米」などを目の前にすると、当時の危機感が伝わってきます。
同時に、豊かな現代に生きていられることにありがたみも感じますね。

古橋家は、享保2年(1717)に稲武(現愛知県豊田市)に移住をしてきて、酒造業と味噌醸造業を始めた豪農です。源六郎というのは、当主の襲名で、古橋源六郎暉皃は6代目にあたります。
案内をした古橋真人から数えると、暉皃は曽祖父の祖父にあたります。そんなことを子どもたちに話すと、とても驚いていました。

稲武では室町時代から続く家も珍しくないため、本当は稲武の子どもたちの家の方が歴史があるかもしれませんよ!

明月清風校と初代校長の佐藤清臣(さとうきよみ)

明月清風校初代校長の佐藤清臣について説明しています

稲武小学校の前身の明月清風校は、明治5年(1872)に、明治政府から学制が頒布されるのに先んじて、古橋源六郎暉皃、義真(よしざね)親子が設立した小学校です。

初代校長は、幕末明治維新期の国学者の佐藤清臣です。
この佐藤清臣は、幕末の赤報隊という悲劇の草莽部隊の一員で、命を追われる身でした。三浦秀波、神道三郎など幾度となく名前を変える波乱の人生を送ります。

教養人でもあったため、稲武の古橋家がかくまって、明月清風校の校長になったのです。

佐藤清臣

地元の歴史を知って、誇りや可能性に気づく

古橋懐古館の建物は、もともと古橋家の酒蔵で、江戸時代に建てられました。酒造業を太平洋戦争中に廃業して、終戦直後からは内科、外科、産婦人科を備えた総合病院「古橋医療研究所」に改築して、約15年間運営していました。
なんと、同行してくださった校長の山田先生も、古橋医療研究所で生まれていました!

・稲武小学校(明月清風校)は、近代義務教育制度(学制)が始まるより早く設立され、全国屈指の歴史がある
・稲武は命を追われる幕末明治維新の志士たちが行き交っていた
・身近な校長先生が生まれた建物が今も形を変えて残っている
・そうした歴史を演出した郷土の先人(古橋源六郎暉皃)が稲武にいた

このような地元の歴史を知ることで、子どもたちに地元稲武で生まれ育つことの「誇り」や「可能性」に気づいてもらえると、とても嬉しいです。

豊田市立稲武小学校でもご紹介いただきました「古橋懐古館の見学」

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この記事を書いた人

私たちは、300年以上の歴史がある豪農古橋家の歴史と家訓「家は徳に栄える」を受け継ぐ財団法人です。
私たちは、豪農旧家、中山間地域、歴史や伝統文化など、古めかしくて時代遅れとみなされたものを、現代においても通用する形に磨き上げて、人と人との繋がりが人を支え、人間性に根ざした、与え合う社会の実現に貢献していきます。

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