地域– 中山間地域こそフロンティア –

私たちは、中山間地域で持続可能な事業活動を行うことで、
持続可能な社会の実現を目指しています。

私たちの拠点 愛知県豊田市「稲武町」

自然豊かな奥三河の山村

愛知県豊田市「稲武町」は、平成17年に豊田市に編入合併された小さな町です。現在の人口は約2,100人で、毎年50人ほど人口が減少してしまう中山間地域です。

名古屋市や豊田市街地から日帰りできる距離でありながら、岐阜県恵那市と長野県根羽村にも接していて、本格的な自然を満喫できます。

標高は500m以上あり、夏は涼しくホタルが飛び交い、秋は燃えるように鮮やかな紅葉、夜は満天の星空を楽しむことができます。

歴史ある宿場町

かつては中馬と呼ばれる塩の運送業者が行き交う宿場町として栄えました。三河湾の塩を、長野県塩尻まで運ぶ飯田街道が現在の国道153号線で、別名は「中馬街道塩の道」と呼ばれています。

岐阜県中津川市と静岡県浜松市を結ぶ国道257号線は、かつては秋葉神社(静岡県浜松市)を参拝するための街道でした。稲武は、2つの国道が交わる交通の要衝なのです。

温泉施設が併設された道の駅どんぐりの里いなぶが有名で、縄文時代の遺跡も出土するほど、太古の昔から人が住んでいた歴史ある町です。

古橋会の地域医療

古橋クリニック

平成12年(2000)に、地域の診療所「古橋クリニック」を建設しました。
財団法人古橋会は、診療や医院経営には関与せず、建物を建設・所有して賃貸することで、地域医療に貢献しています。

総合病院「古橋医療研究所」

太平洋戦争中に酒造業を廃業し、終戦後に酒蔵を改築して、内科、外科、産婦人科を備えた総合病院「古橋医療研究所」を開設しました。医師は名古屋大学から派遣していただいていました。

約15年間運営した後、古橋総合病院は、再改築して歴史民俗資料館「古橋懐古館」となります。

古橋医療研究所開設10周年記念(昭和39年)

古橋会の地域教育

明月清風校跡地(武節町の一円寺)

明月清風校

明治5年(1872)に、明治政府から学制が頒布されるのに先んじて、古橋源六郎暉皃(てるのり)、義真(よしざね)親子が設立した小学校です。

額田県(当時。現愛知県)に出願許可を得て、佐藤清臣が初代校長を務めました。他地域からも数多くの生徒が通学して、地方教育史上の意義も大きいです。
稲橋郷学校や稲橋義校とも呼ばれ、現在の豊田市立稲武小学校の前身です。

鶴望保育園

昭和26年(1951)に、保育園の開設許可申請書を愛知県知事提出して、鶴望保育園(かくぼうほいくえん)を開園しました。場所は、紅葉の名所である大井平公園です。

当時としては郡内のさきがけであったため、隣接地域からも多くの子どもたちが通園してきました。
昭和40年代に町営保育園に統合されました。

大井平公園にて鶴望保育園創立10周年記念(昭和36年)
建て替え後の義真会館

義真会館と稲武中学校卒業生へ給付型奨学金

稲武町をはじめとする奥三河の子どもたちは、名古屋市内の高校や大学に通学することが難しく、彼らの下宿先を確保するため、昭和23年(1948)に名古屋大学の近くに奨学施設(学生寮)「義真会館(ぎしんかいかん)」を開設しました。

開設当初は、古橋家の旧桶倉(おけぐら)を移転して建設し、昭和44年(1969)に鉄筋コンクリート造の建物に建て替えて、平成18年(2006)まで運営しました。

ちょうど平成18年に愛知県立田口高校稲武分校の廃校が決定し、稲武の高校生が遠方へ通学せざるを得なくなりました。平成20年(2008)から、稲武中学校卒業生への給付型奨学金制度を開始して現在に至ります。

講演・セミナー・コンサルティング事業

テーマ例

  • 地域活性化、地方創生、地域資源の価値化
  • 林業、山林の管理と活用
  • 空き家活用、リノベーション、場づくり
  • 稲武の養蚕製糸の伝統文化
  • パブリックマインド、利他性、やりがい・生きがい

ご依頼について

現代では異色の存在である豪農旧家の知見やノウハウをご提供します。

地域紹介

高松宮殿下の御宿泊

昭和28年(1953)に、安城農林学校を創設した山崎延吉翁を通じて、高松宮殿下が稲武に御来訪され、古橋家新座敷に御宿泊されました。

古橋医療研究所(現古橋懐古館)のバルコニーから、東栄町の民俗芸能「花祭り」を御覧になり、愛知県農業試験場稲武分場、稲橋小学校での北設楽郡立誓式、稲武中学校での郡民体育大会に御台臨されました。

山の講

地域の山の講は、脈々とつづく大切な行事です。

伊勢神宮遥拝所

古橋源六郎暉皃が伊勢神宮遥拝所を伊勢神峠に設置しました。毎年秋に祭祀が開催されています。

お祭り

地元の稲橋八幡神社の夏のお祭りです。静かな歴史と風格を感じます。