「家は徳に栄える」
私たちは、300年以上の歴史がある豪農古橋家の歴史と家訓「家は徳に栄える」を受け継ぐ財団法人です。
江戸時代や明治時代では、近代的な行政機能が不十分で、普請、灌漑、教育、医療、祭り、冠婚葬祭などは、地域の人と人との共同体が担っていました。
古橋家はもともと酒造業や味噌醸造業、金融業が生業で、地域の中では社会的にも経済的にも恵まれた立場であったため、そうした地域の共同事業に対して、資金などを拠出することは当たり前のことでした。
与え合わなくては生きていけない時代では、人は助け合い、自然の恵みを謙虚にいただいて、信用や徳を大切にしていました。
一方で現代社会では、行政機能が大きな役割を担い、便利で快適な生活のために、商品やサービス、建造物、機械が絶え間なく大量につくられ、それらが大量に消費されていきます。
公共サービスは行政から与えられることが当たり前で、経済活動は顔の見える規模ではなくなり、差別化や競争によってライバルを出し抜き、できるだけ自己に有利な取引をすることが必要とされる世の中になりました。
そんな時代でも、私たちは家訓「家は徳に栄える」を継承し、パブリックマインドや利他性の持つ力を信じています。
大切なものを守り伝える
私たちが拠点としている稲武町(現豊田市)は、少子高齢化が進む中山間地域です。空き家や耕作放棄地が増え、魅力的な地域資源が埋もれ、歴史や伝統文化が途絶えつつあります。
そんな課題先進地である日本の中山間地域は、これから人口減少に向かう世界全体の中でも、最先端のフロンティアです。
持続可能な社会の実現には、大切なものを守り伝えようとする意思が必要です。経済合理性から目を背けることはできませんが、それだけに目を奪われていては、大切なものを見失ってしまうでしょう。
私たちは、豪農旧家、中山間地域、歴史や伝統文化など、古めかしくて時代遅れとみなされたものを、現代においても通用する形に磨き上げて、人と人との繋がりが人を支え、人間性に根ざした、与え合う社会の実現に貢献していきます。
(一般財団法人古橋会 常務理事 古橋真人)
法人概要
沿革
寛文2年(1662) | 古橋源治郎義元と古橋源六郎義次親子が中津川第一用水を完成させる |
享保2年(1717) | 古橋源六郎義次が稲武町(現豊田市)に拠点を移し、酒の醸造業を始める 三河稲武の古橋家初代当主となり、以後の当主は「源六郎」を襲名する |
享保15年(1730) | 2代当主 古橋源六郎経仲が家督を相続し、豪農の基礎を築く |
宝暦10年(1760) | 3代当主 古橋源六郎義伯(よしあき)が稲橋村の庄屋(名主)に選出される |
寛政6年(1794) | 4代当主 古橋源六郎義陳(よしのぶ)が味噌の醸造業を始める |
文化6年(1809) | 5代当主 古橋源六郎義教(よしのり)が家督を相続する |
文政5年(1822) | 6代当主 古橋源六郎暉皃(てるのり)が家督を相続し、家政改革に着手する |
天保5年(1834) | 天保の飢饉に際して、暉皃は将来に備えて植林を開始し、大井平山で古橋林業を創始する |
文久3年(1863) | 暉皃は江戸の国学平田門に入門し、国学者や明治維新の志士たちとの交流が本格化する |
明治5年(1872) | 郷学校「明月清風校」を開校 |
明治11年(1878) | 古橋家本宅旧座敷にて農談会が発起され、のちに郡農談会に発展し、大日本農会の嚆矢となる |
明治11年(1878) | 7代当主 古橋源六郎義真(よしざね)は北設楽郡長(第十四大区長)に任じられる |
明治14年(1881) | 「100年計画の植樹法」を樹立し、村内の共有山への植林を奨励 |
明治15年(1882) | 明治初期から殖産興業として養蚕業を地域に奨励し、伊勢神宮への献糸を復興する |
明治17年(1884) | 義真は北設楽郡報徳会を発起し、三河尊徳と呼ばれるようになる |
明治19年(1886) | 義真は東加茂郡長に任じられ、北設楽郡長と兼任する |
明治33年(1900) | 稲橋銀行を創設 昭和2年(1927)に岡崎銀行と合併 |
明治45年(1912) | 8代当主 古橋源六郎道紀(ちのり)は稲橋村武節村組合村長に当選 |
大正4年(1916) | 稲橋村武節村組合献糸会(稲橋村武節村組合役場)は、大嘗祭の繒服(にぎたえ。絹織物のこと)のための御料繭を調進 |
昭和8年(1933) | 愛知県立農事試験場稲武試験地(現愛知県農業総合試験場山間農業研究所)の誘致決定 |
昭和21年(1946) | 道紀逝去の遺言により、古橋家資産の大半を遺贈して財団法人古橋会を設立(初代理事長は川村貞四郎) |
昭和23年(1948) | 名古屋市内に奨学施設兼学生寮「義真会館」を開設 |
昭和26年(1951) | 大井平公園に鶴望保育園を開設 |
昭和28年(1953) | 高松宮殿下が古橋家新座敷に御宿泊される |
昭和29年(1954) | 古橋家酒蔵を改築して総合病院「古橋医療研究所」(内科、外科、産婦人科)を開設 |
昭和36年(1961) | 芳賀登(元筑波大学副学長)先生を中心とした古橋家文書研究会が発足 |
昭和46年(1971) | 「古橋医療研究所」を再改築し、旧味噌蔵と連結して歴史民俗資料館「古橋懐古館」を拡張開館 |
平成2年(1990) | 稲武町献糸会(稲武町役場)は、大嘗祭の繒服(にぎたえ。絹織物のこと)を調進 |
平成24年(2012) | 公益法人制度改革により、一般財団法人へ移行認可を受ける |
平成29年(2017) | 収蔵庫を新設 |
令和元年(2019) | 令和度の大嘗祭の繒服(にぎたえ。絹織物のこと)を調進 |