金田平重氏(いなぶまゆっこクラブ創設)-養蚕と地域を笑顔で振興した94年の歩み-

金田平重(かなだ へいじゅう)さんは昭和4年(1929)7月18日に生まれ、愛知県豊田市武節町に在住され、約80年にわたって養蚕業に携わり、地元の稲武地区(現愛知県豊田市)に脈々と受け継がれているシルクの伝統文化を守り伝える活動を支えてこられ、2024年1月20日に逝去されました。

平成度と令和度の2度の大嘗祭(だいじょうさい)に、繒服(にぎたえ)という絹織物を調進する際には、養蚕や製糸の技能指導において中心的役割を果たされました。
また、毎年行われている伊勢神宮や熱田神宮への生糸の献納も、地元の有志の保存団体「いなぶまゆっこクラブ」を設立して尽力されました。

そんな重責を果たしながらも、金田平重さんは明るい笑顔と柔軟なお人柄で、周囲の人を魅了し、勇気づけてこられました。
今もなお稲武地区のシルクの伝統文化が続けていられることに、金田平重さんや奥様のちゑのさんの功績は非常に大きく、この記事で94歳の生涯をご紹介させていただき、金田さんのご冥福をお祈りいたします。

目次

写真で振り返る金田平重氏の歩み

平成度の大嘗祭(だいじょうさい)繒服(にぎたえ)調進出発祭 1990年
平成度の大嘗祭 繒服製糸祭(金田ちゑの氏) 1990年
令和度の大嘗祭 繒服調進出発祭 2019年
令和度の大嘗祭 繒服製糸祭(いなぶまゆっこクラブ)
伊勢神宮の神御衣御料糸の献納(毎年実施) 2012年
献納する生糸を持つ金田平重氏 2012年
桑畑整備をする金田平重氏 2007年
上蔟作業中の金田夫妻 2007年
回転蔟を点検する金田平重氏 2007年
糸取り講習中の金田ちゑの氏 2009年
大日本蚕糸会 養蚕指導功労賞 1984年
「大日本蚕糸会 蚕糸功労賞」を受賞した金田平重夫妻が豊田市役所を訪れ、太田稔彦市長(左)に受賞を報告 2014年

金田平重氏の略歴

年齢略歴
1944年14歳愛知県北設楽郡田口町立国民学校高等科二学年を卒業し、愛知県蚕業試験場講習普通科に入場。
1946年16歳愛知県蚕業試験場採用、業手となり、愛知県技師補となる。
1947年17歳愛知県技師となり技術吏員に任命される。 
1951年21歳愛知県蚕業試験場の同吏員を退職し、愛知県北設楽郡養蚕販売農業協同組合専任技術員となる。
1953年23歳愛知県より蚕業技術指導事務を嘱託され、愛知県北設楽蚕業技術指導所に勤務。
1957年27歳愛知県北設楽郡名倉村農業協同組合を退職し、稲武町農業協同組合に転入。
これより、稲武地域の養蚕業の指導にあたるとともに、明治15年(1882)から1年も途切れることなく毎年続いている伊勢神宮への生糸の献納も、稲武町役場主体の時代から尽力。
1984年55歳大日本蚕糸会から養蚕指導功労賞を授与される。
1988年58歳稲武町農業協同組合を定年退職し、名古屋市稲武野外教育センター勤務を経て、稲武町商工会事務局長に就任(1991年まで)。
1990年60歳平成度の大嘗祭繒服の調進に尽力。
同年10月に、古橋稲武町献糸会長、片桐町議会議長とともに3人で宮内庁へ献納。
1997年67歳「いなぶまゆっこクラブ」を結成し、稲武地域の養蚕復興に尽力。
1997年67歳財団法人日本民族工芸技術保存協会から、20年にわたる座繰糸製糸技術者として貢献したことに感謝状を授与される。
2011年81歳「いなぶまゆっこクラブ」は、豊田市から豊田市政60周年記念表彰を授与される。
2014年84歳大日本蚕糸会から蚕糸功労賞を授与される。
2019年89歳令和度の大嘗祭繒服調進に尽力。
養蚕や製糸作業を担った「いなぶまゆっこクラブ」の代表として技能指導。
2023年93歳「いなぶまゆっこクラブ」の代表を退任し、顧問に就任。
2024年94歳逝去

金田平重氏の主な実績

平成度と令和度の大嘗祭における繒服の調進

天皇陛下の代替わり後にはじめて行われる新嘗祭を特別に大嘗祭(だいじょうさい)と呼び、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式とされています。
この大嘗祭では、亀卜によって斎田が決まる新穀の他に、繒服(にぎたえ)と呼ばれる絹織物と、麁服(あらたえ)と呼ばれる麻織物が重要なお供えものになっています。

この繒服は、稲武地区(現愛知県豊田市)から調進することになっており、金田平重さんは平成度と令和度の2度の大嘗祭の繒服調進に携わられました。

伊勢神宮神御衣祭の御料糸の献納(献糸活動)の継続

神様の衣を神御⾐(かんみそ)といいます。
伊勢神宮では毎年5月と10月に、天照大御神に和妙(にぎたえ)と呼ばれる絹織物と、荒妙(あらたえ)と呼ばれる麻織物を、御針などの御料と共にお供えする神御衣祭が行われています。

この和妙の原料となる御料糸(ごりょうし。生糸のこと)は、明治15年(1882)から毎年、稲武地区から献納することになっています。

最盛期には400軒から500軒もの養蚕農家があった稲武町ですが、徐々に担い手は減少し、平成2年(1990)の平成度の大嘗祭の時には養蚕農家は3軒しか残っていませんでした。
地域の養蚕業が衰退していく中でも、献糸活動の継続に尽力されてきました。

「いなぶまゆっこクラブ」の設立と養蚕技術の伝承

地域から養蚕農家が消えていく中で、養蚕技能や製糸技能を伝承していくため、平成9年(1997)に「いなぶまゆっこクラブ」を設立しました。

平成17年(2005)に稲武町が豊田市に編入合併する際、伊勢神宮への献糸活動は豊田市役所に引き継がれませんでした。
そこで、いなぶまゆっこクラブと一般財団法人古橋会と地域が協力して献糸活動を行う現体制に移行しました。

令和元年度(2019)からは、熱田神宮の御衣祭(おんぞさい)の和妙の原料となる生糸の献納も始まりました。

現在のいなぶまゆっこクラブの正会員は約10名で、金田さんのご指導を生かして、今なお手作業で桑畑を整備し、お蚕さんを飼育し、糸取り作業を行っています。

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この記事を書いた人

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